2015年11月19日木曜日

ナシのような味のカブ ― 自然農入門体験記(14)

八ヶ岳自然生活学校の野菜塾も、11月上旬で今年の最終回となった。
最終回は、いくつかの野菜の収穫とその保存がテーマで、みんなの一品持ち寄りで盛り上がったのち、散会となった。
印象に残ったのは、畑の間引きをしながら、食べたカブのみずみずしかったこと。
黒岩さんの話では、自然農のカブは、ナシのような味がするとのこと。
自宅に帰って、カブを間引いて食卓に出したところ、やはりナシのような味がした。
肥料や水を使わないため、自然農の野菜は固いというイメージがあるようだ。
味という点では、いわゆる有機肥料を使った野菜の方がそれらしい味がある気もするが、それはそのような味をめざして肥料を施すのだから、当然なのかもしれない。
ただ自然農の野菜には、もっとしっかりした、というか、いわば自己主張のある味がある。
自己主張のある味というのは、食べる者にこびないというか、自然そのままの姿が味に反映しているようだ。だから、食べていて、飽きることがない。これは、自給自足の自然農をやったものでないとわからない感覚だ。
僕はたかが1年目の自然農初心者だが、この1年で、この感覚はしっかり身についた気がする。

では、なぜこのような味の感覚が生まれるのかを考えてみた。
自然農では、土地を耕さず、肥料や水をやらず、虫や雑草を敵としない。
しかし、一方で、日当たり、風通し、水はけについては人一倍気を配る。
だから、決してほったらかしにするわけではなく、かなり細やかな配慮が必要だ。
むしろ、野菜が伸びようとする力をどのようにサポートできるかということを考えるようになる。
その時に、一つの正解があるわけではない。
どのように野菜と向き合うかは、そのときそのときの状況によるわけで、その野菜の状態によっても変化するといえる。
自然なるいのちの営みに添い、応じ、従い、任せる農」(川口由一)という名言が象徴するように、自然農の味は、自然そのものの味なのだろう。

2015年11月4日水曜日

政治を変える庭造りへ ― 自然農入門体験記(13)

11月1日(日)に、八ヶ岳の北杜市制施行11周年記念講演会が北杜市の八ヶ岳やまびこホール(高根町)であり、八ヶ岳南麓を基点に自然な庭造りの仕事をしているポール・ズミザーさん(ランドスケープ・デザイナー)の話を聞いた。

ポールさんは、イギリス、バークシャー州生まれ、英国王立園芸協会およびアメリカで園芸学を学び、10数年前から、日本の個人宅や公園等の設計にかかわるようになったという。2000年に第1回東京ガーデニングショーのプレゼンテーションガーデン部門で「RHSプレミアアワード(最優秀賞)」を受賞している。

ポールさんの話のなかで最も共感したところは、自然と人がふれあうことができるガーデンスタイルを提唱することで、自然志向の新しい流れをつくろうとするところだ。偶然というか、ポールさんの考え方は、無農薬はもちろん、無肥料で、できるだけ不耕起というところも、自然農の考え方に近い。生物多様性の環境づくりを実践し、地域の素材と植物で、その場所らしさ、その場所にしかない空間を創造しようとしているという話がとても印象的だった。

1980年代、10代のころに英国王立園芸協会で学んでいた時には、イギリスでもまだ自然農的な考え方はなく、むしろ肥料によって植物は育つということが常識だったらしい。そこに疑問を持つきっかけになったのは、お父さんから見せられた1冊の本だったという(ここは記憶があいまいで、いずれご本人に確かめる必要あり)。

2012年から山梨県清里高原『萌木の村』で森と庭を全面的に改修する仕事をはじめ、現在、周辺が大きく変容しようとしている。すでに使われなくなって放置されていた石を集め、在来の工法で石を組み、その石積みの間に野鳥の巣ができるまでになる様子は感動的ですらある。

このような話を聞いていると、自然農の考え方は、農業だけでなく、人々の暮らし全体に大きな影響を及ぼすことが見えてくる。人が集まり、暮らし、つながっていく空間としての公園には、さまざまな生物も集まってくる。これは、その周辺の森にも言えることであり、さらに、私たちが毎日食べているものをつくる畑や田んぼも同様である。

ポールさんのガーデン・デザインは、そうした人の暮らしや生き方への新しい提言として受け止めることができるだろう。
前回の和綿のつながりの話と同様に、自然農の考え方は、ここでも生きていると思う。

ここ数年、太陽光パネルの乱立で、せっかくの自然を自ら破壊しようとしている北杜市が、あえてポールさんを講師に招いたということは何とも皮肉なことである。もしかしたら、自然農には政治を変える力があるのかもしれない。